明日から仕事なので、いろいろな本を読んでいる。ひまだからね。
この時間になると、何となく不安になる。今の仕事はそのうちやめることを心の中で決心している。
そのあと何がやりたいのか、全く見えてきていない。今のところ農業かなと思うが、本当にそうなんだろうか?長野とかに300万円程度で帰る家があるらしい、そこに住みたいのだろうか。僕は何がやりたいのだろう。
僕は幸せに生きていきたい。アリストテレスによると、幸福とは、ある目的←徳に向かって誠心誠意行動することらしい。つまり、やりたいことが社会もしくは誰かの幸せになることであり、それに向かって全力をかけているときに、人は幸せになれるのだ。
そうだと思う。ダラダラ生きているより、絶対そっちのほうが死ぬときにいい人生だったと思える。
ただ、その目的を見つけることがこの世の中では非常に難しいのではないかと思う。
なぜかといえば、選択肢が多すぎるからだ
あれにもなれる、これにもなれる。可能性がありすぎるのだ。良い意味でも悪い意味でも。
だから選択を捨ててシンプルに生きよう、というのは正しいと思う。が、せっかくこんな世界に生まれたんだから、いろんなことをしてみたい、と思うのも正しいに違いない。
違うなこれは、と思うこともたくさんある。気づいたらそっちに向かっていることって何だろう
今は本を読むことだ。そして、未来について考えることは非常に楽しい部類であるといえる。知らないものを知ることは非常に心地が良い。
それと同じくらい、人と会話して、自分の話を聞いてくれる人がいたとき、本当にうれしく感じた。あれは快感だ。共感してくれたらその人のことを大好きになってしまう。
これがカーネギーが言っていた人を動かす力なのだろう。話を聞いてくれる人のためなら何でもしたくなっちゃうよね。
なんか、そういう人になりたいな
自分の話は基本的にしない、
僕ですらそうなんだから、多分聞いているだけで楽しい人なんてこの世に存在しないんだ。みんな自分の話を聞いてほしいんだよ。
絶対そう。気持ちいいからね。「マジっすか!!」って言葉だけで社会は成り立つ気がしてきた。
今の世の中にはそういう場が必要なのかもしれない、と思う。
人の話をただただ聞いてくれる場所ってどこにあるんだろ。
バーテンダーでもやろうかな。
さっきまで塾のスタッフやりたいなと思っていたけど
たぶん自分の話をしたいだけなんだな、高校生に、失敗談をして悦に浸りたいだけなんだろうな
やだな、こんなの
どうしようかな、人を幸せにしたいな。
人の話を、つまらない話を楽しそうに聞く力が欲しい。