映画館が開いていて、エヴァがやっていたので見てきました。(5回目くらい笑)
今回は、シンジ君の成長物語だなあ、と感じたので、その路線でつらつら書いていきたいと思います。
さて、シンジ君ですが、主人公です、かっこいいはずです。当然名台詞が今までの劇場版でもあります。
「嫌なことから逃げ出して、何が悪いんだよお」
「僕はもうエヴァには乗りません」
とか、ダサいですね。
そんなシンジ君が、最終回であるシン・エヴァでは
「涙で救えるのは自分だけだ」
「僕はいいんだ、つらくても大丈夫。代わりに、アスカやみんな、トウジやケンスケたちを助けなきゃ」
どうしてこうなった、というくらいに成長していますね、
14年たったとは言え、ほぼ記憶がないのに、圧倒的な成長を遂げています。
映画の前半は何もしゃべらずひたすら体育座りをして泣いていただけなのに…
*最初見たときにはこの田舎パート長くね?って心底思いましたが、今となっては必要な長さだと感じるようになっています。
シンジ君の成長の要因は、周りのやさしさ、
彼が引き起こしたニア・サードインパクトで、人類はほとんど死にます。それを
自分のせいだと思っているシンジ君は、もうほっといてくれ、僕にかまってくれるな、という心境になります。まあそうなるでしょう。僕ならもっと前に精神崩壊します。
「世界滅ぼしちゃった、てへ笑」とかできません。
そこから、アスカには怒られながら、トウジやケンスケには優しく接してもらいながら、アヤナミレイには好きだと言ってもらいながら、だんだんと復活していきます。
アヤナミレイは真の愛を表現しているとすら思いました。自分と話してくれるだけでうれしく思うとか、名前を考えてくれるだけで、ありがとうとか、いい子過ぎますね。純粋すぎますわ。
それシンジ君も立ち直るわ、と思いますが、すぐ死んじゃいます。またメンタル崩壊しそうな事象ですね。「好きだ」と言ってくれた途端に死んじゃうわけですから、つらいわ。
そんなシンジ君、泣いただけで復活します。クッソ早え。成長しすぎ。そして、もろもろの元凶である父上の碇ゲンドウと対峙しに行きます。
ンで、最大のいいシーンがやってきます。アスカですね。アスカ大好き。
おっと個人的感情が漏れてしまった。
まあ、あのアスカの告白シーンはきゅんと来ました。
「あの頃の私、シンジのこと好きだったんだと思う」
生涯言われたいセリフランキング余裕の3位ですね。フラれてますから3位でお願いしやす。
1位は「好きです、付き合ってください」ですね、間違いないですね。いや…「結婚しよう」か?まあいいや
そのあとに、「でも先に私が大人になっちゃった」とかいうセリフを吐いて去っていきます。なんかいろいろ感じますが、これについては別途話したいな。これで1回分終わりそう。
さて、その前に、「破」でアスカは使徒に斟酌されてしまうわけですが、その時にシンジ君は思考停止して、アスカのことを殺したくないから「何もしない」という選択肢を取ります。
これをアスカはすごいキレてました。私のことを思ってくれるなら、「殺すか助けるか努力しろよ」と。そんなアスカの気持ちをシンジ君はついに理解するんですね。大人になったなあ。
そのあとの告白ですからそりゃあキュンキュンしますわさ。
さて、この後のアスカは「大人になっちゃった」では済まないようなすさまじい自己犠牲を見せます。この映画の一番の名シーンであることは間違いないでしょう。僕アスカ好きだし、音楽最強にかっこいいし。
そうやってアスカは14年間、いろいろな人が死んだり、生き残ったり、つらいことを経験して、大人になっていったわけです。その思いを紡いでいるからこそ、あのような自己犠牲行動に移れたのではないか、などと考えてしまいます。
シンジ君も負けずに、大人になっていきます。自分の保護者になっていたミサトさんも、自己犠牲の末、シンジ君のためにやりを1本届けて、死にます。今回は3人くらい死にましたかね。まあいいや。
そんなミサトさんが死んだのに、シンジ君は泣くのではなく。
「ありがとう、ミサトさん」
とミサトさんのことを泣いて悲しまずに、ミサトさんの気持ちを汲んで、自分はどうすべきか判断し、死んだミサトさんの思いを受け止めて、自分の仕事を全うしようとします。
ああ、大人や、僕よりも…
そのようなシンジ君の成長物語を見せてくれたように思います。
最後には、自分が辛いのは構わないから、他人を幸せにしてあげてよ、とかいう神みたいな願いをかなえて物語を終えます。
ああ、成長したなと思うと同時に、よく考えたら僕来週で28歳になるな、と思いました。
そうなんです。成長したシンジ君と同い年なんです。
14歳のころはエヴァ知らなかったけどね。
んで、シンジ君とは全然違うのですが、僕はおばあちゃんを15歳と27歳で亡くしています。
何が言いたいかというと、亡くなった人の思いを受け止めることができるようになってきたな、ということです。
14歳の僕は、人に死に対してよくわかっていませんでした、ああ、「コボちゃん」読めなくなるな、とか、オロナミンC飲めなくなるなとか、そんなことしか考えられませんでした。死に際のおばあちゃんの気持ちにまで考えが及んでいませんでした。
しかし、27歳。おばあちゃんとおじいちゃんを亡くすのですが、気持ちがわかるようになりました。もう死ぬ、となったときに何を考えるのか、とか、1回くらい孫の顔見てから死にたいよね、とか、死ぬときには家族が近くにいてくれたほうが良いよね、とかいろんなことを考えますし、死んでしまったとしても、そのあとにできることはないのか、仮に天国があるとしてそこから現世が見えるとしたら、どうしてくれたらうれしく思ってもらえるだろうかとか、そんなことを考えています。
こんなことが、死んだ人の気持ちを受け止める、ということなのではないかなあ、と思っています。
思いのたけを書きたくなったので書きましたが、死んだ人の気持ちを受け止めるとか、結構しんどいんですよねええ。
そんな僕の個人的な経験を踏まえても、シンジ君、マジで成長したなあ、と思います。そして、その成長の過程が現代の若者に抜けているのでは?とか思います。長くなったので、
次回にこうご期待あれ?
おわり