この話で重要なのは、この疑問です。
「具体的に帝国がどうなれば、任務完了なのかね?」
という質問です。
この質問を軸に物語が進みます。
前回同様、ストーリーの解説はしません。
ひたすら私の感想を語ります。
戦災復興部隊に予算を割く vs その予算でパンを配る どちらが本当の戦災復興なんだろうか、という質問です。
アリス的には「パンが行きゃあいいっしょ」と思ってた時期があったそうです。僕もそう思っていた時期があります。それに対して
「それは少し違うんじゃないか」と考えるわけです。答えは素晴らしいですが、最後に言います笑。
戦災復興という事業は、果たして何を目的をするのか、ということを考えます。
こうなれば良い、というのは果てしなく難しいと思います。いろんなことで苦しめられて、いろんなパターンの戦災、というものがこの世には存在していると思います。それを考えていこうというのですから、なかなか深みがあるように感じます。
また、この0番地区ですが、今の日本の政治に対しても一言言っているような気がします。
なんていうんでしょう。言い訳体質といいますか…番地を与えれば帝国の領土になってしまうから、番地を与えず放置しておこう、とか、日本の政治家がめっちゃやりそうな論理だと感じました。オリンピックの観客は上限1万人だけど関係者1万人(スポンサーなど)は別途計算する、といった言い訳に近いものがあるように思います。それが昔から日本ではある気がしますね。昔といっても今の政治体制が成り立ってからのことですが、、、
まあそういう言い訳をすると、それをうまいこと使って税金の納める量を減らしたりだとか、うまいこと言って補助金をゲットしたりだとか、そういう連中が出てくるわけですね。
さて、アリスは「正義を口にする理想主義者」、ロンダリオは「正義を口にはせず、法に触れることもする実行主義者」という対比がこの物語で話されています。
良くある話だと思います。口だけ番長か、近くのヤクザか、みたいなことわざ的なのがあった気がしたと思いますが忘れました笑
それでどっちが正しいの?に真剣に答えようとしています。どういう取材やどういう人生を送ったらこのような漫画が書けるのかがよくわかりません。岩永亮太郎は哲学者かなんかだったのでしょうか
政治経済学部かもしれませんね。それっぽい話題は多いし笑
陸軍情報部第3課の設立理由とかその辺めっちゃ考えましたよ!感出てるもんなあ。
さて、本日は最初の質問に対しての答え?となるC.Jの発言を吟味して終わりたいと思います。
ハチの巣のたとえですね。
要するに、助けられるのも、助けられないのも、配給を受けるのも、配給を受けないのも、「自分」に決めさせてくれ、ということです。
自分で決めなかったら、すべてのことが押し付け、になってしまう。
それがたとえいいことであったとしても
だから、自分で良い、悪いを自分で決めさせてくれさえすれば、その決断をしたのは自分なのだから、後悔したとしても、自分のものとして受け入れられるだろう、ということですね。
難しいですね。
あしたですか、もうちょっとわかりやすくまとめたいと思います。
では、あでぃおす