さて、15巻の途中です。
先は意外と長いですな。
今回は、正義の味方という言葉に対する勘違い、というところですね。私が引っかかったところは、、、
正義の味方が、正義ではなく、なぜ正義の味方を名乗るのかー
そんなことは気にしたこともありませんでしたが、言われてみたら気になりますが、
「正しい道理に賛同するもの」
ではないかと大使は問いかけますが、僕もそうじゃね?と思います。
勘違いというのは、
味方という言葉を使う時点で、正義は複数あることが前提にあると考えられる。
民衆を救う英雄=正義の味方なら、民衆の救うものが正義なのだから、民衆こそ正義なのでは?という勘違いです。
子供心に考えたとか書いていますが、そんな子供がいたら怖くて仕方がないわ!
って感じです。
でも、アリス少尉はそう思っている節があります。次の出番の時に、
「この命は民のために使い尽くそう」それが英雄というものだ、というある種、自分の幸せをないがしろにして、英雄になろうという意思を感じるセリフを吐いています。
あとでマーチスやオレルドが話していますが、そういう英雄になったらなんだかさみしいというか、そこでさらにできれば機能として英雄をやっているわけですから、特に何も感じないわけです。
それはちょっと救いがないよねえ、と書かれていますが、本当にその通りだと思います。人間としての感情はどこに行った!という感じですね
ちなみに、これに対する最終の答えは最新刊にも載っていないので、次の24巻が出るころにわかるのではないでしょうか。
この間では、ほかにも新聞記者のバーニーが正義とはうんぬんかんぬんということで語っています。
オーランド伍長の結構大変な過去を聞いた後、戦災復興をやるぜ!と言っているアリス少尉に対して、「戦災復興ってきつすぎて無理やろ!」とかんがえてしまいます。
オーランド伍長が、一番の戦争被害者レベルで被害者です。脳みそいじくられて、生身の対戦車戦をできるようにされているわけですから。。。
無理ゲームリゲー。
てな感じですね。
さて、次回は、アホキャラのハーケンマイヤー三等武官の大活躍のところから語りましょう!
おわり、アディオス