MASTERキートン5巻 CHAPTER3「無関心な死体」について語っていきたいと思います。
この話では、ロンドンの街中で一人の若者が不良に追われて、路上で倒れていました。人通りの多い道端で倒れているにも関わらず、誰も救急車を呼んでくれず、倒れてから路上で一時間くらい放置されていました。死因は脳出血でした。
死んでしまったのは、不良に追われて転倒したことじゃなくて、誰も救急車を呼んでくれなかったことじゃないのか
それが原因で死んだのではないかと思ったTVのリポーターが、これを社会問題として取り上げました。
「ロンドンの人、冷たくないっすか?」「こんなのよくないよねえ」と。
このTVのリポーターは、田舎出身で、田舎の教会を中心とした、お互いに思いやりを持った温かい人間関係のある暮らしが良くて、都会の暮らしはよくない!という思考の持ち主です。都会は人間関係が希薄で不良も多いし、問題だらけだ、とも考えています。
私も田舎出身なので、田舎がいいなあ、という気持ちはよくわかります(今は東京の大都会に住んでおりますが笑)。
しかし、いろいろ調査を進めていくうちに、脳出血が放置されて死んだのではなく、脳出血は脳出血だけれども、自然死だったことがわかります。
リポーターはがっかりです。この人の番組のおかげでちょっとずつ互いに声掛けする雰囲気すらロンドンに出てきたのに…
てな感じで、リポーターは都会を悪者にしちゃって反省します。
キートンさんは、その死因の調査をこのリポーターさんと一緒に進めていったのですが、その時の慰めの言葉が
「私は最初ロンドンにきて、友達もいないし一人ぼっちで退屈だしでロンドンから早く日本に帰りたい、と思っていた」
「そんな時に、夕日とレンガつくりの町がいい感じに調和して、すごくいい景色になって、暖かな気持ちになったことがある」
「ロンドンも捨てたもんじゃないでしょう」
と。
要するに、どこに目を当てるかで、物ごとの見方が変わるなあ、ということです。悪いところに目を向ければ悪いところが気になるし、良いところに目を向ければよいところが目に付く。
両方をみて、悪いところばっか見ないようにすれば、きっといいことあるよ。ということをこの話からは私は感じました。
東京だって、田舎に比べたら30分とかしたら友達に会える環境です。すごく良いことです。便利だし、家賃は高いけどその分駅もスーパーもコンビニも近いし…
悪いところもあるけれど、良いところもある。田舎も都会も一緒です。両方あるのです。
そんなことを学びました。
全体的には3巻のほうが楽しかったな笑
おわり
あでぃおす