というわけで、MASTERキートン17巻 CHAPTER⑤ より
「学者になる日」
を紹介します。
キートンさんがついに大学で働けるかも!という話と、キートンさんの大学時代の恩師であるユーリースコット教授にまつわるお話です。
~あらすじ~
論文が大学に認められて、講師の職を得て、研究に没頭できるかも!というところから話は始まります。
まずは面接に合格しなければ…
ということで日本の考古学のドン、藤林教授のところへ面接に向かいます。
この教授が偉そうで、文学部長の座を狙っていたり、研究にさほど興味はなく出世やゴルフに興味があり、果ては部下の論文を盗用する疑惑があるなど、なかなか悪い人物です。
ですがキートンさんはそれでも研究するため、好きじゃないカラオケなどの付き合いにも参加します。頑張ります。
ある日、藤林教授に呼び出され、キートンが書いた論文の出来が良かったから、「藤林教授」の名前で投稿しないか?という提案を受けます。
メリットとしては、研究職を得られる、発掘とかさらに研究を進めやすくなる。
デメリットとしては、名誉というか、自分の研究なのに人の手柄になってしまう。
こんなことが本当に起こっているのかはよく分からないですが、学者にとっては自分の名前で投稿するのはすごく重要なことですから、キートンさんは悩みます。
発掘費用とか研究者の肩書を人質に取られているようなもの、と考えたらよいでしょうか。
そんなことで悩んでいたある日、恩師であるユーリースコット教授の訃報連絡が入ります。
キートンさんはかなりショックを受け、玄関先で泣いてしまいます。
ユーリー先生のことでいろいろ思い出が駆け巡る中、思い出した強烈なセリフが
「人間はどんなところでも学ぶことができる。知りたいという心さえあれば」
というセリフです。
今のキートンさんの心にそれが響き渡ります。
その結果、藤林教授に研究者の肩書を人質に取られながらも、
「藤林教授の名前で論文を出すなんて我慢ならん。」
ということで、藤林教授の名前での論文投稿を拒否します。
藤林教授に最後、日本でお前は研究者になれないぞ、と脅されたりしますが、知ったこっちゃありません。
「人間はどんなところでも学ぶことができる」
のだから…
~あらすじ終わり~
とまあ、こんな話でした。
良かったなあ、と思う点は、「学ぶ」を「生きる」に変えたら、すごく人生楽に感じるなあ、と思う点です。
生きたい、と思えばたとえどんなところでも生きていけるような気がしています。まだ無色とはいえ28歳、やる気満々です。
今はいろいろ勉強している最中ですが、だからこそ、本当に思います。コロナ渦で外にも出られず、家に引きこもって読書ばかりしています。
暑いし、狭いし、ユニットバスだし、外に飲みにも行けないし、と悪い点はいろいろありますが、そんな状況でも、こうやってブログを書いたり、勉強をすることができています。
やる気があれば、できるのです。
結構マジでそうだと思います。そんなこともねえ、やる気が出ねえ、と落ち込む日々もあります。
そんな日にはぜひこのマスターキートン17巻を読んでいただいて、やる気を復活してもらえればと思います。
おわり
アディオス