さて、小林一三シリーズの第3回です。
今日からはガチで阪急を作っていくところからですかね。
最初は、金がないから会社の立ち上げも大変だったようですね。なんやかんや頑張ります。
事業計画には自信があったので、金がなくても成功できる!という自信はあったようです。
今でいう総合ディベロッパーの仕事をですね。
鉄道作って、沿線に家作って、売りまくる、という構造です。
小林一三が走りです。
当時の時代背景であれば、絶対売れる!
という確信があったようですね。
目的は、「中産階級の生活水準の向上」です。
そのために健全な住居を提供するんだ、という形です。
ですが、中産階級が高いから買えねえ、というのでは何の意味もありません。
ですから、ここで登場するのが、皆さんを苦しめている、「住宅ローン」です笑。
今も同じシステムですね。庶民に手の届く頭金で家を買うっていうシステムですから…
現代まで残るシステムを作ったことになります。
発案者は小林一三ではないですが、大々的に初めて利用したのは小林と言っていいでしょう。
ですが、最初っからみんながみんな家を買ってくれるわけではありません。
ですから、鉄道事業は赤字です。当たり前ですよね。
畑と都市をただ結んでいる鉄道ですから、、、
ということで、いろいろ手を打ちます。
動物園を作る→やめる
温泉街につなぐ→もともとの人と喧嘩して新設する羽目に
と、まあまああまりうまくいったりうまくいかなかったり…
小林一三も、集客には苦労していたようです。まあ、新しい経理ソフトを導入した新手のベンチャー企業みたいなもんですから、仕方ないかと思います。
どんなにいいシステムでも、集客は大変でしょうから、、、
さて、そんなときについに、アレを思いつきます。
そうです、宝塚歌劇団です。
これも、男性を入れて演劇してみたり、試行錯誤をしますが、最終的に女性のみの歌劇団として成功します。
ここにも、小林一三が明確なターゲットを持っていて、それが「女性のみの歌劇団」という形によってターゲットの心を射止めたから成功したのだと思っています。
当時、男は働き、女性は家事、という昔ながらの状態ですから、女性や子供には、特にセレブには、時間と金のゆとりがあったわけです。当時のサラリーマンは、どちらかといえばセレブです。
その「女性、子供」をターゲットにして、そこをぶれずに試行錯誤した結果、今の形の宝塚歌劇団となって、成功になるのです。
今は9割以上が女性客ですが、最初は男性客が多くて、それではいかん、と思ったらしいです笑。
関西は女性が強い、という文化的な要素もあった?らしく、そういった意味でも女性をターゲットにしていたのは、なかなか先見の明があったかと思います。
そんな感じでどんどん利用客を増やしていこうとしている政策の中に、大阪(十三)~神戸三宮への延伸があります。
この時に箕面有馬電気軌道の名の通り、有馬温泉までつなごうとしますが、トンネルほるのに金がかかりすぎるのでやめます。その代わり、儲けがちゃんとありそうな三宮に目を付けます。
この決断は、無茶なことはやめよう、という思いに基づいています。
こんなところも、成功の要因の一部といったところでしょうか。
この結果、今、関西の大阪~神戸間では、
大阪駅と、三ノ宮駅に、3路線のターミナルがあります。なかなか面白い状況ですよね。
JRと私鉄1本ならともかく、2本て…
これも、小林の経営の腕が一歩上だったのでしょう。阪急vs阪神の戦いは、2006年に、阪急が勝ち、阪神の親会社となって決着します。
もともと明治とかの話ですから、絶対3路線いらないですよね笑
ですが、将来のドル箱路線と見込んで、小林はこの路線を買います。
そして、付加価値を付けます
「ガラガラで乗れて、早く都市に到着するよ」
と
こんな広告を打って、庶民の心をわしづかみにします。
早いし、しかもガラガラで座れるだって、なんてこった、というわけです。
実際、神戸~三宮を40分くらいで走っていたそうです。
現代の普通列車よりは早いですね、特急には負けますが笑。
そんな感じで、どんどん規模を拡大していきます。
失敗もありながら、前に進んでいきます。
ぶれないところは、
「中産階級の生活向上」
という理念です。
そしてそれがいずれ会社に利益をもたらすんだ、と本気で思っていたことでしょう。
これがぶれなかったから、すごい経営者として、今でも名を残していると思います。
さて、次回は、百貨店です。
今って、大体大きな駅の近くには百貨店あるじゃないですか。
あれって、小林一三が阪急梅田駅に作ったのが走りです。
そんなシステムをなぜ思いついたか、次回、話していきたいと思います
終わり
あでぃおす
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