MASTERキートンの4巻の内容を紹介していきたいと思います。
今日は、CHAPTER6 穏やかな死
についていろいろ考えていきたいものです。
IRA(アイルランド共和軍)という武装組織に所属している爆弾名人が登場します。
この人物が作った爆弾が、テロリストによってイギリスの大きな商業施設に置かれた!
という状況です。
この名人は爆弾が爆発するまでの数日、休暇として田舎の町を放浪しますが、そこである老人と出会います。
名もなき老人です。96歳の爺さんです。
爆弾名人「爺さん、96歳まで生きて楽しかったかい」
じいさん「楽しかったよ」
爆弾名人「いくつのときが一番楽しかった?」
じいさん「…今だな」
爆弾名人「退屈じゃなかったかい?」
じいさん「退屈なんぞしとる暇があるかい。。これからも毎日が楽しい人生ってやつさ」
という受け答えをします。
そしてひ孫が表れて、チョコを渡して楽しそうに帰っていきます。
次の日にはなんと死んでしまい、爆弾名人はその葬式に立ち会いますが、その時の死に顔がすごく穏やかであると感じます。
その瞬間、決意して、爆弾の解体を決意します。
そこでキートンの力を借りて、爆弾を解体して、ハッピーエンド?という物語です。
さて、ここで私が思ったのは、
「こんな爺さんになってこんな死に方をしたいなあ」
です。幸せそうだなあ、と思いました。96歳にもなって毎日が楽しいと思えるのって、すごく素敵だと思います。
今どきの若者なんて。すぐに「ひまだ」「だりい」「めんどい」といいがちです。ごめんなさい、若者ではなく私です。
んで、それは退屈という感情に分類されるものだと思っています。
そんな感情で、日々に退屈を感じて、あえて楽しい方向に向かおうとしないなんて、いやだなと思います。
僕自身は、
「なんか退屈にしてるほうがモテそうだから」
そうしていましたし、そういい続けると本当に退屈に感じてくるもんです。
もったいない時間を過ごしたなあ、と思っています。
最近は、幸せについていろいろ考えています。
没頭状態っていうのが1つ幸せな状態として挙げられる。とはよく書かれているので、何にも没頭しようとして努力中です。
このじいさんは、毎日、日々の些細な出来事に喜びを感じ、退屈をかんじずに生きているのでしょう。
「ああ、晴れた、いい日だ。」とか
「ああ、たばこうまい」
とか、そんなんだと思います。
そんな日々に幸せを感じながら、老後を送りたいもんです。
今日はそんなとこで。
あでぃおす。