その後、東宝を作った小林は、第一ホテルと阪急ブレーブスの創設に動きます。
第一ホテルは、東京に、中産階級が住むほどほどの金額のほどほどのホテルがなかったことに端を発します。
旧来のホテルは高くて、サービスもその分良かったのです。
小林としては、それでは中産階級が住めないので、サービスは削り、ホテルをでかくして薄利多売戦略をとり、部屋を狭くすることで、高級感はありながらもそれなりの金額で泊まれるホテルを作ります。
それが第一ホテルです。
要は、ビジネスホテルの走りを始めたのです。何かと新しいもの、今の時代まで引き継がれているものを生み出しているなあ、という印象を受けますね。
また、阪急ブレーブス、今はないですが、プロ野球球団×鉄道の発想をしたのも小林です。
野球は、だんだんと人気が出てきていましたが、プロ野球というよりは、早慶戦とかのほうが人気がありました。
ですが、プロ野球を創設したい野球人と出会い、野球を通じて健全な青年を育てるという理念に共感し、プロ野球球団を創る方向で動きます。
そして、
鉄道に乗せて人を運ぶ×球場を作ってそこで入場料を取る
をコンビで使えば、野球が事業として成り立つ、と考えたのです。
どういう計算かは知りません笑。
で、成り立たせたのが小林です。
今も鉄道会社が多く球団を持っているのは、この発想が走りです。
ちなみに、西宮球場、というのを当時作ったらしいのですが、ガラガラだったそうですから、成功したのか?はわかりません。
そんな感じでいろいろな事業を成功させていくうちに、日中戦争そして太平洋戦争に突入していきます。
そんなさなかに、小林一三に商工大臣になってほしい、という旨の依頼が来ます。
結果としては、ゴリゴリに失敗します。
当時は、戦争のための統制経済をしましょう。国家主導の経済体制に移行しましょう、という時代でした。
小林は、
「そんなんあかん、自由主義こそ最高や」
という人ですので、めっちゃ対立構造にあるわけです。自由主義者の誰かがもう小林しか対抗できるやついないから送り込んだ、ということかもしれません。
で、その理念に従って、いろいろ頑張ります。
まずは、東京電燈という会社を持っていたのですが、国が、電力事業を国営化しようとします。
これに、小林は真っ向から反対します。
「ある程度民営で経営しないと人はやる気をなくす」
という理屈です。
そして、何とかこの国の国営化法案に反対して、自由主義側に有利な形に修正させることに成功します。
喜びもつかの間、すぐ辞職する羽目になります。
岸信介っていう官僚がいて、小林の部下という立場の官僚だったのですが、めっちゃ統制経済派なので、だいぶ喧嘩していて、小林が岸を辞職させます。
という背景がありました。
でも岸さんは、のちに総理大臣になるほどの実力者なので、逆に小林も裏工作によって辞職に追い込まれます。
そんな感じで、商工大臣をやめさせられます。
そんな感じで、商工大臣になったのは失敗だったっぽいです。
ですが、最後まで、統制経済に反対した唯一の男で、それを表立って批判していたのです。
治安維持法は制定されていたかと思います。なかなかのつわものだったといえるのではないでしょうか。
そんな男にはついぞあこがれてしまいますね。
本の表紙もかっこいいし笑
さて、次回は戦後、もう一回商工大臣をやる話をして、最終回としたいと思います。
ではまた
あでぃおす
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