「人間としての尊厳を持て」みたいな話
マスターキートン17巻
についてレビューしていきたいと思います。
マスターキートンはどんなマンガ?
考古学者兼保険の調査員である平賀・キートン・太一が主人公のマンガです。
実はイギリス特殊空挺部隊(SAS)に所属していたこともあるサバイバルのスペシャリストでもあり、設定もりもりの主人公です。
この主人公が、昔からの夢である考古学者になりたいのだが、現実は講師に就職することすら厳しい…
仕方なく危険な業務もある保険の調査員をしながら、いろいろな事件を解決していく、という物語です。
今回は17巻より「学者になる日」~「夢を継ぐもの」について紹介したいと思います。
17巻「学者になる日」~「夢を継ぐもの」あらすじ
この2つのエピソードはつながっています。
そして、18巻1巻丸ごと使ったエピソードへの序章になるお話です。
18巻は最終巻。
つまり、完結へ向けて走り出した第1歩となるエピソードですね。
学者になりたいキートンさん。
そんなキートンさんに、大学に論文が認められて、
大学で「講師にならないか」という夢のようなお話が来ます。
しかし、海外育ちのキートンさん。
日本流の大学の仕組みがよく分からず、「付き合い」が下手だったり、日本の感じが分からず戸惑いながらも、講師になろうとします。
めっちゃいい環境ではないけど、そうでもしないと
「発掘」
という考古学者の一番の仕事ができないからです。金かかりますからね。
そこで、最後の日本っぽい1発をくらいます
「この論文、教授の名前で出さない?」
教授に自分の魂ともいえる論文を売り、その代わりに発掘という実利を得る、という非常につらいトレードが持ちかけられるわけです。
「とはいえ発掘しないと…」
と悩んでいる中、訃報が届きます。
キートンさんの師匠、ユーリー先生がなくなったのです。
そして教授の言葉を思い出します。
「人間はどんな所でも学ぶことが出来る。知りたいという心さえあれば…」
マスターキートン 17巻より
こうして、日本の教授=日本の学界とは決別するという男気溢れる判断をして、この話が終わります。
感想~人間にとって本当に大事なものは何?
人間にとって本当に大事なものは何なのか、守らないといけない尊厳とは何なのか、問いかけてくるようなエピソードでした。
まず、ずる賢く生きちゃいけないな、と思いました。
多少損するくらいの方が人間としてはちょうどよいのではないかとすら思えてきます。
人としての信頼感を生んでくれる気がします。
キートンさんも頻繁に人助けして損してますし、この件だってそう。
たぶん損してます。まあ論文の名前を貸すのはどうかと思いますが、、、
ただそうした方が発掘への道は近かったし、合理的だったと思います。
でもそれをしなかった。
僕としても、なんかそんなん嫌ですし。
そうじゃない、合理的じゃない情熱みたいなものが、人間にとって本当に大事なんじゃないかな、そんな気がしました。
また、夢を失った大人を悪く書きがちなマスターキートンですが、夢のある人の方がやっぱりいいですよね。
「現実を見ろよ」と言いますが、現実ばっかり見てたら辛いことばっかりですから。
金は無いし、仕事は別に面白くもないし、じゃあ起業しようか、と言われたらそんな度胸もないし、イケメンでもない。
まあ、僕という人間はそんなもんです。
こんな現実ばっかり見てたらそりゃしんどいですよ。
そういう現実もそうですが、じゃあ明るい未来が待っているのかと言われたら、どうもそうでもなさそう。
むっちゃ悪くもないけれど、平凡な未来が待っているような気がします。
成田祐輔さんもそんなことを言ってました。
なので、あまり面白くない世の中を生きていくのに、「現実」を見てそれっぽく生きていくとあんまりおもしろくなさそうです。
とりあえずロックでも聞きますかね。
おわり
あでぃおす。