100分で名著 「幸せについて考えよう」
「好色一代男」から見る幸せ
自分に従って生きるということ
「好色一代男」親の財産で酒、女と遊び惚ける話
ひたすら愚行を追求するし姿勢は、誰の意見でもない自分で決めたことを進む道を選んだ人生を送ったとしたら、幸せな人生だったといえるのではないか、ということが書かれている。
幸せとは、「断念ののちの悟り」であると考える。好色一代女は、最後は、人生をイケメンの前で幸せそうに語って終わる。いい人に看取られながら死んだのだから、おそらく幸せなのだろうと思う。
んで、好色一代男も、自分の欲望のままに生きたとはいえ、ある意味では自分の財産を人に分け与え続けている。その意味で、他人に自分のものを惜しげもなくささげるという生き方は、ある意味で「断念ののちの悟り」ではないかと考える。金があったら幸せになれるわけではない、何かを、できれば愛を人に分け与えてこそ幸せになれるのではないか、というようなことが読み取れる。
僕としては、あくまで自分のために他人を幸せにするという態度で生きていきたい。自分のやりたいことをまっとうしつつ、それが他人のためになっている、ある意味理想の生き方だと思う。
次は経済学から考える。
アダム・スミスは、経済学を立ち上げた人で、その最初が「国富論」。
ここでは、人が幸せになるための活動として、経済学というものがあるんだ、という考え方を披露している。
人は、共感を得られることで幸せになれる。現在の分業体制は、孤独感が増し、共感を得られることが少なくなり、人を不幸にするリスクがあると考えている。
経済活動は一人ではできない、他人との共感ができるような環境で、経済を回していくことが大事なんじゃないの?成果ばっかに追われずに、というようなことを主張した。
いろいろ機械化されてきたけど、そのすべては人間が生み出したものなんだから、人間を中心に考えて行動しなきゃ、と言っているんだと思う
人間は一人では孤独で生きていけないから、他人と生きて、お互いに共感や理解を得ながら生きていくしかできない。それをないがしろになっている今の社会はおかしいし、逃げ出したっていいと思う、
自由に生きていけるようになった現代社会を考える。
自由のデメリットは孤独、人に理解されないという苦しみがある。そして生きる意味が分からなくなる。
人間には、承認欲求&自由に生きる という2つの欲望があるとする。そしてこの2つは両立しない、間をとるしかない。
そして、自由を追求すると、何かすがるものが欲しくなり、宗教に至る。宗教に至ることにより人との相互承認が生まれる。
最終的に
世の中的に正しいであろう目標に向かって、他人に認められつつ、自分もその仕事を達成したことを認めつつ生きていくのが、承認欲求&自由に生きるを達成できるもっともよい生き方だとする。
常に他人と関わり合い、正しいって何だろうと考えながら行動していくことは大事(自己中心的にならないために)
最終的に
「幸せとは、自分の生に対する肯定である」として締める。
僕としては、この本の中で一番納得のいった部分。死がうんぬんかんぬんとかを簡潔に言い表すとこうなると思う
自分の人生の合計値で+になっていると自分で思えることが非常に大事。
それはどういう形であれ他人のために動くことでしか達成できないんじゃないかと思っている。人間はそうプログラムされている。
幸せとは心が生み出すものだから、こころを考える。
心は、自我(意識)、超自我(意識と無意識の間)、エス(無意識に)に分けられるという考え方を述べる。
自我が、超自我とエスと外界をうまいこと調整して生きているのが人間らしい。
そもそも人間は、本能が崩壊してしまった生き物
遺伝子にただ従い、目の前の快楽を求めて生きることができなくなってしまった不幸な生き物。
だからこそ幸せを求めている。
んで、幸せは一時的には達成できても、より強くを求めてしまうものだから、永遠に幸せに離れない、解脱して無になるしかない、という考え方をする。
それでは嫌だから、「愛する人が幸せであること」が幸せであると結論付けている。
僕もそう思う
ここまで読んできて
まず、根底に自分の人生を肯定できること、が下支えをしていて、それを達成するために愛する人に幸せになってもらう必要がある。愛する人とは僕の場合は出会ったすべての人が理想。でも世界の人類全体でももちろん良い。何なら動物でもいい。幸せになってもらうには、直接何かをするだけでなく、アプリ作ったり、遺伝子治療の研究したり、いろいろな形があると思う。
そのいろいろな形を、自分の意志で決めて歩んでいくことが重要(自由を獲得できる)。やり方は様々だから、それぞれの人が考えていけばよい。