破を改めて見ている。なんやかんや言って最高傑作(新劇場版)じゃねと思いながら見ています。最初の墓参りのシーンでは、父と話せてよかったと感じているがそれを表現できない思春期真っただ中のシンジ君が描かれます。ミサトさんの言われた通りというのが嫌なのでしょう。わかります。気持ちは。まだ成長しきれていない子供だよ、ということを言いたいのでしょうか。
また、マリが登場しますね。誰やねん。てなります。ああ、これは今までとは違うんだと分からせてくれます。漫画の最後に登場しますが、イマイチどんな奴なのかはわかりません。
んで、いつも通り?のアスカの登場で安心します。なんか絵がきれいになっていますね。アニメ版の時より可愛いと思います笑。アスカはこの作品で一番不幸な目に合うキャラだと思います。最初の登場シーンくらいしか単独勝利を上げられない悲しい存在です。本当にもう。良くないよ庵野さん。自分はエリートだ!と思っているのに全然エリート感ある仕事ができないし、使徒に侵食されるし、シンジ君は綾波に取られるし、いくらなんでもいいこと少なすぎませんかね。
そんな彼女が唯一?救われたのがミサトさんと話しているときだけです。「誰かと話すって心地いいのね」というセリフと笑顔がありました。まあこの後が地獄なんですけど…どことなくですがユイと出会ったときのゲンドウの感情と似ている気がしますね。
また、2号機を封印されたときに印象的なセリフがありました。「私のたった一つの居場所なのに…」
悲しすぎますね。居場所がエヴァの中にしかないからすべてを捨てて頑張ってきたのに、あんまり報われていません。居場所と、人とのつながりを求めて生きているのですが、アスカも素直じゃない14歳ですから、自分の気持ちをきちんと表現できずツンツンしています。だからまだ子供だ、ということなのでしょう。そして、地獄(3号機)に乗り込む前に一足先に人とコミュニケーションをとれたことで、シンジ君より一歩早く大人になれたのでしょうか。わかりません。
シンを見た後だからわかりますが、なんで水族館?を見せたかったのかがわかりました。まずはセカンドインパクトによって海がどうなったかの説明と、加地さんの役割でしょう。地球に残る生命体を守るんだ、ということの一端がここで現れていたのでしょう。
また、Mark.6の宇宙視察では、いろいろ語っていましたが、結局Mark.6が何だったのかは今でも私はわかっていません。これらの説明の続編が欲しいっス笑。
水族館のシーンでは、加地さんが「死んだ人の思いを引き継いで行かなきゃいけない」と発言していました。シンでも同様のことをシンジ君が行い(ミサトさんの槍を受け取るとき)、大人になったのを実感するシーンがありましたが、ここにも伏線があったということに驚きです。そんな加地さんの影響があったからか、「ミサトさんの持っているものを半分もらうよ」とかいうイケメンセリフが言えたのでしょう。
んで、ミサトさんとかが普通にサードインパクトを見ていましたが、Mark.6の槍でいったん終わりました。これをやるために加地さんは死んだのでしょう。どういう経緯かはわかりませんが、カヲル君と加地さんはなんか関係があったっぽい感じなので、たぶんカヲル君を呼んだのが加地さん、といったところでしょうか。わかりませんねえ。
また、シンで委員長が毎日が同じことの繰り返しで良くて、それが幸せなの、ということを言っていました。日常こそが幸せである、と。これと同じ発言が、破でもありました。繰り返す日常を謳歌する、感謝すべき事態ね」buリツコ。 →これが多分一番大事だ、ということを言いたかったのでしょう。庵野さん的には。知らんけど。
まあ、シンを見た後にもう一度見てみると新たな発見がいっぱいありました。もっと見たらもっと「こういうことか」というのが出てくる気がしますが、それはまあいいや。
僕が見て思ったのは、
①日常こそ幸せだ
②人と話すって心地いい
この2点が言いたかったのではないでしょうか。という風に感じます。エヴァは幸せとは何か、というようなことを教えてくれるアニメな気がしているので、私はドはまりしています。まだわかりませんが、いずれヱヴァでわかる現代の幸せ、みたいなものを考えられないかなあ、と思います。
まあ、アマプラでいつもただで見れて感謝しています!
おわり